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「明治の億万長者本多静六氏」Ⅱ

本多青年は東京農林学校(東京山林学校の後身)を優等の成績で卒業し、ドイツに留学し、苦労して国家経済学の博士号を取得し、帰朝後、東京帝国大学の助教授に任命された。しかし経済的自立を目指し蓄財を心掛けるのである。その蓄財方法とは給料の四分の一をそっくり貯金し、残りの四分の三で生活をするというものです。財産のない自分が経済的自立を得るためにはこの方法しかないと、思い定めて「四分の一貯金」を敢行したのです。25歳で蓄財を開始した博士は40歳の時には大学でもらう貯金の利子や株の配当のほうが多くなったという。そして定年が間近になったころには、所有していた不動産は田畑山林が一万町歩(約三千万坪)住居・別荘は六カ所、貯金通帳の残高は五,六百万(今の五百億円)と「私の財産告白」に博士は経済生活のすべてをありのままに淡々としるされたものだそうです。博士は「日本林学の父」と呼ばれ、生涯に三百七十冊余の執筆をされ、国立公園の制定にも尽力され、東京の水源問題も解決され、日比谷公園を設計され、震災後の東京再建計画を策定されたのです。まさに八面六臂の活躍をされるのですが、博士は「経済的な自律が強固になると、勤務のほうにもますます励みがつき、学問と教育の職業を道楽化して、ますます面白く、人一倍働いたものである」経済が安定すると、仕事は苦役ではなく道楽になる。仕事をすることが純粋な喜びになり、その仕事がさらに収入をもたらしてくれる。その結果、生活はさらに安定し、ますます仕事が愉しくなっていく  まさしく仕事と経済の良循環が起こるというわけである。また博士は若い頃からずっと実行してこられたことに、毎日、一ページ分以上の原稿を書くというものである。最初はつらいが、慣れてくると苦ではなくなりし、面白くなってきて、旅行に行くときなどは、前もってその分の原稿を書くという習慣さえできた。まさに「職業の道楽化」である。博士は42歳のとき、腸チフスになり退院の翌日から一日三ページずつ書いたことから、八十歳を過ぎても続いていると記しておられる。博士が原稿を書くという作業も道楽に変えてしまわれたのでしょう

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